丘サーファーというのに憧れていた。
サーフボートを積んだビートルで、天神の不思議屋や警固のKIKIに乗り付ける。大学生になったらそんな大人になろうと心に強く誓っていた。
大学に入ったら、入ったでイロイロとやることがあったんで、丘サーファー計画は一時棚上げになっていた。
20歳になる少し前、疎遠になっていた244兄の友人がフラッと遊びにきた。車高短のスカイラインジャパンは相変わらずなんだけど、髪の毛をサラサラさせ、ラルフローレンのポロシャツなんかを着て、すっかりヤンキー気が抜けていた。聞けば、ウィンドサーフィンを初めたとかで、暇なら一緒にやろうと誘ってくれた。
丘サーファー計画から一気にリアルウィンドサーファーになるチャンスに飛びついた。暇だけはたっぷりあるボクらはすぐに夢中になり、たった一艇しかない先輩のボードで朝から陽が暮れるまでずっと海に入りっぱなしだった。
ただ金がないボクらはウェットスーツにまでお金が廻らず、10月ぐらいまでは海パンで我慢してたけど、さすがに冬は海には入れなかった。それでもGWごろには海パン姿でウィンドサーフィンライフを復活させていた。レベル的にはジャイブができるとこまではいったと思う。
そして仲間が学校を卒業しl福岡を離れたり、家庭を持ったりと、自然と海に集まることもなくなり、ウィンドサーフィンの道具も粗大ゴミ扱いされ、引っ越すついでに処分してしまった。
30歳になり、男児の父親となったボクがとった父親らしい行動は「子供に体力負けしたくない」という理由で手軽るに始められるサーフィンを始めたことだ。
以来、10年。
低気圧の影響で北風が強いスエルを作るんで野北あたりでいい波があがる。
今日の二見ヶ浦はオーバーヘッドで、キレイなセットが入ってて、しかも面ツル。
という情報にも心踊らず、どっちかと言えば海に行くには相当な決心が必要だったり、行ったら行ったで、人が多いとか、面が荒れてるとか、入らない理由を見つけたり。
なので、昨年の宮崎サーフトリップで開眼しかかったけど、10年間何しよったとや?というぐらい上達していない。
うまくならないのは努力しない自分のせいだとわかっているが、サラリーマンという休日に制限もあり、しかも冬にならないと波があがらない福岡の地理上、うまくなれっていうのも条件的に無理があるじゃないかと思う。
サーフィンはもう限界か・・。
続く・・・。 かな?